ホラー

【洒落怖】石じじいシリーズまとめ その3

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7つの石

501 :本当にあった怖い名無し:2019/02/20(水) 20:44:35.62 ID:3AeVht110.net[4/4]
石じじいの話です。

池に入れると魚が死ぬ石があったそうです。
これは、7つの石で、赤い色の石が1つ、ほかの6つが白い石。
どれもまるくなった砂利で、赤いものが砂岩、白いものが石灰岩と思われました。
由来は不明なのですが、1セット(笑)で紙に包まれていて、
神社に奉納されていたものを黙って持って来た、とか、行商の人から譲ってもらったとか、たまたま石の収集の結果の組み合わせだ、とか。
この7つの石がきれいなので、池に入れたところ、その池の魚が全部一度に死んだそうです。
気がついたら全部がぶっかりと浮いていた。
ツチガエルもいたのですが、これらも死んだそうです。
魚を追加しても、それも死ぬ。
池の水をすくって桶に入れて、そこに魚をいれたら死なない。
これは、最近入れたあの石が悪いのだ、ということになったそうです。
案の定、その石を桶に入れたら魚はぷっかり。
石を網袋に入れて、もっと大きな池に入れたら、数時間で魚が浮き始めたので慌てて石入り網を引き上げたそうです。
どうも、赤い石と白い石を一緒にいれると生き物を殺すようだとまでは判明したのですが、その後の実験は行われなかったそうです。
なにか毒素のようなものを出していて、周りの人間にも害を及ぼすのではないか?と考えられたからです。
結局、石は油紙に包まれて丈夫な箱に入れられて保管されることになったそうです。
当時、それらの石が間違って大きな用水池や川、海などに入ってしまっては大変なことになるのではないか?
地面にはだかのまま埋めたら、水分と反応して周りの生物を殺してしまうのでは?
と考えて、非常に恐れられたそうです。
どこに保管されることになったのか?はメモにはありません。
人の住む場所(の近く)に保管されることはなかったと思われます。
いつか将来、いきなり動物や人がある場所を中心にして死に始めたら怖いですね。
7つの石など自然状態では探し出せないでしょう。

保管を誤ると、とんでもない害をおよぼすというのは、放射性廃棄物の地層処分と似ています。
しかし、このメモを読んでみると、池に石を入れて数時間でそこの生き物が死にはじめる、というのは変な話です。
まあ、変な話でないとここに書き込む必要もないのですが。

じじいノート その8

511 :本当にあった怖い名無し:2019/03/06(水) 18:03:21.15 ID:8xv8cXXZ0.net
石じじいの話です。

メモから鉄道ものを。

(1)線路を走って行く少年がいたそうです。
じじいの住んでいる地方にはローカル線が走っていますが、そこの線路を走る少年が目撃されていました。
危ないので、注意しようとするといつの間にか消えたようにいなくなる。
周辺の学校に周知しても、該当する生徒はいないし、少年が走ることはおさまらない。
走るのは同じ少年で、夕暮れ時に走ることが多かったそうですが、真昼間にも早朝にも走ることがあったと。
これは、汽車の乗員も目撃していました。
別に列車の運行をじゃまするというわけではなかったそうです。
昔なので、少年一人のためにわざわざ人員を出して警戒するということはなかったのですが、地元の人が注意して見守っていたことはあったようです。
ある日、雪が降りしきる夕方、近くのトンネルにその少年が走り込むのが目撃され、それ以来、その少年は姿を消したそうです。

(2)通ると気絶するトンネルがあったそうです。
そのローカル線には蒸気機関車が走っていました。
トンネルに入る時には、煤煙が車両の中に入ってくるので窓を閉めます。
ちなみに車両の内装は木製でした。灰皿がついていてタバコは吸い放題。
このへんは、私も記憶にあります。
列車がそのトンネルを通過しているときに、乗客の一人が必ず失神するのだそうです。
老若男女関係なく。
蒸気機関車が姿を消す時期に、そのようなことは起こらなくなったそうです。
ちなみに、そのトンネルは(1)の少年が走り込んで姿を消したトンネルとおなじところで、
そのトンネルの上には、昔の遍路道が通っていて、古いお堂がありました。
今もあります。

死んだ母親が箪笥の前に立つようになった

海・山にまつわる怖い話・不思議な話 2 http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535920044/

517 :本当にあった怖い名無し:2019/03/09(土) 15:32:09.86 ID:ivrjKl/60.net
石じじいの話です。

肉親の死は、残されたものにとっては辛いものです。
まだ若くして自分の親や子を失うのは、大きな喪失感を持つものです。
失った可能性を思って嘆くのです。
それゆえ、死んだ肉親の姿がこの世に残る、という話がよくあります。
これもそのような話です。

死んだ者が長く現れた家というものがあったそうです。
ある家で、若い母親が病気で亡くなりました。
葬式が終わって数日すると、その死んだ女性が奥の間の箪笥の前に立つようになったそうです。
そこは陽の当たらない部屋でしたが、その薄暗い部屋で箪笥に向かってじっと立つ。
家族は最初は恐れましたが、四十九日が過ぎるといなくなるだろう、と考えました。
しかし、それが過ぎても彼女は消えません。
懐かしいなという気持ちもあったそうですが、いつまでなってもそこにいるので気味が悪くなってきました。
こちらからの問いかけには答えず、じっと立っている。
別に悪いことをしないし、なにか悪いことが起きることもない。まあ、良いことも起こらない。
僧侶を読んで回向しても消えない。
神職にも頼みましたが効果なし。
箪笥の中に何か心残りのものが入っているのではないかと考えて、箪笥の中を探ったそうです。
しかし、思い当たるようなものはありませんでした。
箪笥の中の引き出しの先板や底板、端板に貼ってある紙まではがしたそうですが、何もない。
その箪笥は、昔からあるもので別に彼女に深く関係するものではありませんでした。
家族の者たちは思い切ってその間から箪笥を持ち出して、お寺で供養しました。
しかし、まだ出る。
畳などもかえましたが、出る。

518 :本当にあった怖い名無し:2019/03/09(土) 15:34:02.98 ID:ivrjKl/60.net
その女性の子は、その家で成長しましたが、幼い時にはその部屋には入れてもらえなかったそうです。
もしかして、その子が成人したら出なくなるのではないか?と考えたそうですが、そうではなかった。
成人後も彼女は立ち続けたのです。
別に開かずの間になったわけではないのですが、あまり使われない部屋となってしまいました。
その後、その家族は都合があってその家から引っ越しました。
引っ越し先には、女性は出てこなかったそうです。
引っ越してから数年経って、空き家になったその家に行ったところ、その女性は立っていたそうです。
家族の者がいなくなっても出ていたのです。
その女性の子供は成人した後、母親の姿を見たくなると、ほぼ廃屋となったその古い家に行って、立ちつくす母親に会っていたそうです。
会話はありませんが、幼い頃に別れた自分の母親の姿を見ることがうれしかったのです。
その家は、のちに取り壊され土地は売却され畑になりました。
その子が不在中のことだったので、とても残念に思ったそうです。
畑になったあと、母親は姿を消しました。

『残したこどものことが心配で出てきよったんかのう。
 母親が死んでからも心配しとってくれたのに、こがいな石集めとるやくざなもんに育ってしもうて、母親に顔向けができがよ』
じじいは、少し恥ずかしがってタバコをふかしていました。

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人生を二度生きた人

547 :本当にあった怖い名無し:2019/04/02(火) 01:46:15.85 ID:RPW3ORPq0.net
石じじいの話です。

人生を二度生きた人がいたそうです。
これは、じじいが子供の頃に聞いた話なので、かなり古いものでしょう。
初老のその男性は、街で大きな遊郭を経営していましたが、それ以前の人生では僧侶だったそうです。
いわゆる「前世の記憶がある」ということでしょうか。
その以前の人生を明確に覚えていたらしいのです。
僧侶として托鉢をしながら修行に勤めていたのですが、いっこうに悟ることができる気配がない。
彼をとりまく世界は苦しみに満ちていて、毎日のたうちまわっていたそうです。
ある真夏の暑い日の午後、修行の旅の途中、彼は山村の橋に行きあたりました。
その川では、子供達が何人かものすごく楽しそうに泳いでいたそうです。
全く悩みもなく苦しみもないと思われました。
子供達は、今、涼しく楽しい世界に身をまかしているのだと考えて、自分の人生との大きな違いに「恍惚」となったそうです。
彼の体は自然と動いて、欄干の無い木橋から川に向かって歩を進めました。

548 :本当にあった怖い名無し:2019/04/02(火) 01:56:44.75 ID:RPW3ORPq0.net
気がつくと、彼は、冷たい川のなかで泳いでいたそうです。
驚いて河原に上がると、彼は子供になっていました。
大人の僧衣を纏った、まったくのこどもに。
身体だけこどもに戻ったのですね。
とても大きな幸福感に満たされていました。
彼は、旅を続けることが困難になりましたが、そんなことはまったく気にしなかったそうです。
「一緒に」泳いで遊んでいた子供達が、「彼の家」に連れて行ってくれました。
そこには、両親がいたそうです。
彼は、そのままそこで育ち、早くに商家に奉公に出て苦労して成功し傾城屋となり富豪となったのです。
僧侶の時の記憶は残っていましたが、子供としての生活があまりにも嬉しくて、他人に話す気はおきなかったと。
彼は、次の人生では僧侶の道を再び選択することはなかったのです。
じじいは、この話を半信半疑で聞きましたが、妙に説得力があったそうです。
その後、じじいが旅の途中ある寺を訪れた際、その人物が以前そこで修行をしたことがあると言っていたことを思い出して、
寺の老僧に、その人物(前世の時の)について尋ねてみました。
老僧は、昔、修行の旅に出たまま戻らなかった、そのような名の僧がいたという記録が寺にあると話したそうです。

「坊さんの生活にこりて、地獄にいかんといけんような仕事をするようになったんかね。まあ、その人は、悟ったんかもしれんがのう」

571 :本当にあった怖い名無し:2019/04/20(土) 23:44:34.14 ID:U2a37Ebm0.net
石じじいの話です。

山で出会ったものについて。
石探しのために山の尾根付近の森を歩いていると、「手」が落ちていて驚いたそうです。
恐る恐るそれを山歩きの杖で探ってみると、雨ざらしになってボロボロになったマネキンの腕だったそうです。
当時のマネキンですからあまりできの良いものではなかったでしょうけど、リアルだったと。
こんなところに、マネキンの腕を持ってくる者はいるのか?
気を取り直して歩いていると、またあった。
今度はかなり新しいマネキンの腕が。グッと折り曲がっている左手だったそうです。
周りを見渡すと、木の棒の先に革手袋を被せたものが落ちていました。
これは何か?と思って注意して歩いて行くと、森の中に「腕」がうず高く積み上げらていたそうです。
まるで「塚」のように。
その前に見かけたマネキンの腕や手袋で作った腕、木に彫りつけた手、布で作った腕の「ぬいぐるみ」のようなものが積み上がっていたと。
何かお祈りの場所か?と思って周りを調べてみましたが、祠のようなものはなかったそうです。
神社に物を奉納するというのはよくありますが、こんな何もない山奥に腕だけとは。
最近のものと思われるマネキン腕もあったので、最近も人が訪れていたのでしょう。
そこから尾根をかなり歩いて山脈の中腹の村に下りたのですが、そこで「腕塚」について尋ねることはちょっとためらわれたのでだまっていたそうです。
遠く離れた村だったので、尋ねてもそこの人は知らなかったのかもしれません。
「最初に腕見つけたときはよいよたまげたで。くそひりかずきよったで。あがいなお祈りするんは聞いたとなかったい」

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本当の墓

572 :本当にあった怖い名無し:2019/04/20(土) 23:45:19.09 ID:U2a37Ebm0.net
石じじいの話です。

これもじじいが山の中で見つけたものですが、山の上にまとまった墓地があったそうです。
まわりの集落からはかなり離れた場所だったので、そのような場所に墓をつくる(しかも集団の)理由が理解できなかったと。
しかも、その墓地への道が通っていない。獣道のようなものも見当たりませんでした。
比較的新しい墓石もあり、お供え物もあったのですが、その墓石は小さく簡素なものだったそうです。
まあ、大きなものは、こんな山の上まで運び上げられないでしょう。
山からおりて村の人に尋ねたところ、それは「村の本当の墓」だったそうです。
「本当の墓?」
その村には、かなり立派な墓があちこちにありましたから、別の墓を建てることの意味がない。
しかし、村の人がいうに、
この村にある墓は、単に「故人をいのるための墓」だ。そこにお骨は入っていない。
お骨は、山の上にあったあの墓におさめてあるのだ。
ここいらでは、死んだ人間が墓の中から出てきて、自分の家に帰ってくるのだ。
昔の土葬の時代はもちろん、火葬になってからも戻ってくる。
そこで、墓を遠くの山に作って、そこへの道なども作らず、人の通った跡も残さず、死人が帰ってこないようにするのだ。
「あんた(じじい)が、死人に道を教えとらんかったらええんやがのう」とも。
「心配やけん、これからお寺に行って、村の入り口で拝んでもらわんといけない」
と行って、その人は途中の寺までじじいと同行したそうです。

じじいによると、これとは別に、死人を呼ぶ村もあったそうです。
その話は、また別の機会に。

名前を呼ぶ

574 :本当にあった怖い名無し:2019/04/22(月) 22:15:03.64 ID:OyS4aMUN0.net
石じじいの話です。

じじいが山を歩いていると、遠くから呼び声が聞こえてきました。
何度も何度も叫ぶ。けっこうな声量で男女が叫んでいる。
「さすけ~!さすけ~っ!」(仮名です)
「がいにおらびよんさるが、まいごでもさがしよんなはるんかな?」
と思って、その声の方向へ歩いて行きましたが誰もいませんでした。
遠くだったので近づいている間に何処かへ行ってしまったのか?と思ってじじいは先を急ぎました。
次の年の夏に、同じあたりを通りがかった時に、また声が聞こえてきました。
「さすけ~!さすけ~っ!」
今度は近くだったので、声のする方へ急いで行ってみたら、中年の男女が山のなかであちこちに向かって叫んでいました。
彼らは、近寄ってくるじじいを見つけて、「おおっ!さすけ~っ!」
じじいがどぎまぎしていると、じじいと認識した彼らが、どうも失望したような表情をして立ち尽くしました。
「だれかおらんようになりんさったか?わしは、ここまではだれにも会わんかったが・・・」と言うと、彼らは、ちょっと曖昧な答えをしました。
「いや、べつに、おらんようになったもんはおらんのやけんど・・・」
じじいが、彼らにその叫ぶ理由をやんわりと尋ねると(じじいは愛想がいいので人に警戒されることが少なかったのです、たぶん)、彼らは理由を話してくれたそうです。
彼らが住んでいる村のあたりでは、死んだ人を呼びもどすために、死んだ年から毎年春と夏に山に登って、その故人の名前を呼ぶのだ、ということでした。

575 :本当にあった怖い名無し:2019/04/22(月) 22:16:52.39 ID:OyS4aMUN0.net
以前にお話しした、死人が戻ることを防ぐ風習とは逆ですね。
なからず、年2回、春と夏に呼ぶのだ。それ以上でもそれ以下でもだめだ、と。
彼らの一人息子が2年前に死んで、それを悔やんで呼び寄せようとしていたのです。
これは、お盆とはまったく関係ないのだそうで。
「それで、よんでもどってきんさった人はおるんかな?」じじいが尋ねたところ。
戻ってきた人がいたそうです。
十数年前に、その年に死んだ近くのばあちゃんが家族の呼びかけに応えて戻ってきたそうです。
肉親を失った全部の家族が呼ぶわけではないので、戻ってくる死者はそれほど多くないようでした。
また、こっそりと呼ぶ人もいるので、じっさいどれくらいの人が山で死人を呼び寄せているのかわからないと。
「そがいなことよそもんにゆうてええんかな?」と尋ねると。
「まあ、ええわい。もうこがいなことするもんもおらんなるやろうし」
「そうよ。もし、これくらいの男の子に山でおうたら、なんか食べ物やってうちにもどってくるようにいうてやってくんなせや」
じじいは山で彼らと別れましたが、「もし、これから、また来年でも、さすけ坊に山でおうたらどがいしょ」と思い、ちょっと怖かったそうです。

さすけちゃんは戻ってきたのでしょうか?
もし戻ってきたら、こんどは、むこうへ帰っていくのでしょうか?
もし戻ってこなかったら何年も呼び続けるのでしょうか?
それについての答えはメモには見当たりませんでした。

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幽霊船

576 :本当にあった怖い名無し:2019/04/23(火) 20:47:02.68 ID:EzdkLhno0.net
石じじいの話です。

海の話をしましょう。
漁村の友人がじじいにしてくれた話です。

幽霊船が出たそうです。
じじいの故郷の近くには、長く突き出た岬と深い湾が繰り返す海岸線が続いています。リアス海岸というやつですね。
その湾から外洋に出て漁をすると、所属不明の船に遭遇することがありました。
それは、大きな白い帆をもつ木造船だったということです。
風の無い日でも、いつも帆をはっていたそうです。
いつでも出ました。天気の良い日中にも、夜明け前の薄暮でも、雨の日も。
たいてい漂っているのですが、風をうけて高速で走っていることもありました。
走っていない時に近づいてみても、乗組員はいない。
そのあたり一帯の漁村の昔からの言い伝えで、
その船には関わるな、乗り移るとその人たちが消えてしまう、というのがあったそうです。
だいたいは陸地からかなり離れたところにいるのですが、
たまに湾内に入って来ることがあり、その時にはそこの漁村に病気が流行ると言われていました。
全ての漁村ではありませんが、ある場所ではその船を鎮めるまつりごとがあったそうです。
村でその年に当番となった者が一人で行いました。
海岸に打ち上げられた古い朽木を切らないで、その片面に五寸釘を数本さします。
その反対側に、長い竹ひごにお経のようなもの(詳しくは不明)を書いた短冊を指して帆のようにしたものを取り付けます。
錐で穴を開けて差し込んだそうです。
これでヨットのようなものができるわけです。
それを、その年の二回、春分の日と秋分の日の日暮れどきに海に流すのだそうです。
その「船」は、風が無くてもどんどん沖に流れていきました。
こうすると、その船がひどい災厄をもたらすことはないのだとか。
戦争が激しくなると、その船が米国の諜報活動戦ではないか?と軍部は考えたそうですが、
地元の漁民たちは戦争の始まる前からよく目撃していたので、その説を一笑に付しました。
終戦間際になって、本土沖まで我が物顔でやってくるようになった米国の潜水艦が、その船を誤って攻撃したという噂もあったそうです。
戦後になって、その船の出現は非常に稀になったそうですが、今でもでるのだとか(じじいの話してくれた当時)。

ヤウスン

617 :本当にあった怖い名無し:2019/05/04(土) 17:56:43.62 ID:Sm2Q2Bag0.net
石じじいの話です。

じじいは朝鮮に住んでいるとき、何度か満州、蒙古に旅をしたそうです。
これは、蒙古(満州国領内モンゴル)での話です。
モンゴル人は非常に目が良く、遠くのものをよく見分けたそうです。
遠くを見ていて、「ほら、あれ!ドルジ(仮名)がやってくる」と言われて、
それから30分ほどして、馬に乗ったドルジさんが姿を現わす、といったふうだったと。

馬で旅しているとき、同行のモンゴル人が草原の彼方を見て急に慌てた様子になったそうです。
馬を降りろと言って、あちこち走り回ってお経?を唱えながら石を拾いはじめました。
彼は拾った石を円形に並べて、じじいと同行の中国人に、この中にうつ伏せになって外套を被れ、と命じました。
モンゴル人も自分の外套(デールといったそうですが)を脱いで被りました。3人は互いに身を寄せ合っていました。
「動くな、音をたてるな、外を見るな」と言われたそうです。
モンゴル人は非常に緊張しているように見えました。
長い間そうしていた記憶があったそうです。
強い風が吹いて地表近くに砂が舞っていて、それが外套の隙間から吹き込んできて顔に当たるのが不快だったと。
突然、家畜の死体のような臭いがしてきました。
そして、馬の蹄の音がゆっくりと近づいてきました。
それは、伏せているじじいたちの頭の先ぎりぎりを通って、そのまま歩き去っていきました。
そのとき強い風が吹いて、じじいの外套をちょっと浮き上がらせたので、その去っていく者の姿が見えてしまったそうです。

618 :本当にあった怖い名無し:2019/05/04(土) 17:57:50.00 ID:Sm2Q2Bag0.net
それは、白い斑の馬に乗った、緑色のモンゴル服を着た女性だったそうです。
その頭の髪型から「女性」のように見えたと。
モンゴル人は、じじいの腕をぐっとつかんだそうです。見るなと言わんばかりに。
じじいたちの乗って来た馬たちはおとなしくしていたそうです。
かなりの時間がたってから、モンゴル人はゆっくりと起き上がりました。
深いため息をついて「ヤウスン」と言ったそうです。
じじいたちは、モンゴル人にあれは何か?と尋ねました。
モンゴル人曰く、
あれは非常に良くないモノだ。人間ではないのだろう。
草原を旅していると、ごくたまにアレに出会うのだ。
岩山では出ず、かならず草原に出る。
アレは、かならずこちらにやってくる。逃げても必ず追いついてくる。
できるだけ早く気がつくのが大事だ。
じっとしていると害をなさず行き過ぎていくが、気づかれると必ず死ぬ。
そのような死体が見つかることがあるし、伏せている途中で我慢できずに走り逃げたものが死んだこともある。
油断して気づかないでいると手遅れになるので、これからの旅でも注意しろと彼は付け加えたそうです。
草原を旅すると、怪しげなものに出会うことがままあるということでした。
夜、野営していると灯火が遠くに動いている。ある程度の距離まで来て、そこからいっこうに近づかない。
首の無い牧夫が馬に乗って歩いている。その馬にも頭が無いとかあるとか。
などなど。
「斑らの馬にのった緑色の女性」は非常に危険で、対処を誤ると必ず死んだそうです。

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殺人風

619 :本当にあった怖い名無し:2019/05/04(土) 18:12:10.13 ID:Sm2Q2Bag0.net[3/4]
石じじいの話です。

山を歩いていたじじいが出会った、麓に住んでいるという炭焼きのおっちゃんが言うには。
秋分の頃のある日の午後に一度きり冷たい風が吹く。この風に当たると死ぬぞ。
毎年吹いてくる日は予想できるので、その日と、その前後は午後には出歩かないのだ、と。
その時期をここら辺を歩くのは気をつけんさい、と。
じじいはその後もそのあたりに石探しに出かけましたが、秋口に強い風に遭遇しました。
いきなり顔に吹きつけてきたので、「あの殺人風かっ!?」と慌てて地面に伏せました。
その風は非常に冷たく、じじいの背中を撫ぜて吹き去りました。
じじいは無事でした。死んだと思ったそうです。
よく考えると秋分にはほど遠い。
安心しました、が。
その風は異様に冷たく重く感じられ、吹いている間は、ぼそぼそと何か人の話し声がしていたそうです。

これは高知のハカゼというものかもしれません。
行き倒れた人の死霊が祟って、その場所を通る人を殺すというミサキも同類でしょうか。

623 :本当にあった怖い名無し:2019/05/04(土) 21:54:12.63 ID:Sm2Q2Bag0.net[4/4]
石じじいの話です。

ミサキという現象は、じじいの故郷(=私の故郷)の近くでも言われていることですが、
7人いて、人をとり殺しながら順番に成仏する、という話は聞いたことがありません。
「7という数字は、仏教的に云々」というのはあまりにも理に落ちすぎているように思えますね。
最近の創作でしょうか?(おまえが言うな!というかんじですがw)
ミサキ現象は各地にあって:
田の神としての存在;神に捧げる動物霊;恨みを残した死者の伝承;
憑く死霊(三人ミサキというのもあり);正体不明の憑き物や妖怪;
死者の口寄せ;先祖ではないが盆に祀られるもの;神楽;
異常死に関わる場所;屋敷神;部落の鎮守;異常な死をとげた者;浮遊霊;
死後、死者の成仏を邪魔をするのでその死者から取り除く必要のあるもの;刀剣を祭祀しているもの;
船頭らに信仰される水の神;死後時を経た一族の先祖;墓地にあるが墓ではない塚;
といろいろです。
これらは皆「ミサキ」と呼ばれているようです。
じじいの故郷周辺に多いミサキは、異常死の場所とそのような死を遂げた者、浮遊霊、祖先ではないが盆に祀られるもの、などが多い印象です。
ドウロクジン(行逢神でしょう)というのもミサキによく似ています。
ドウラクさま、ホウカイなども。
お盆に道ドウロクのために暗闇を照らしてやるために、晩に道路と家の入り口の境界で松明を燃やすという風習が大昔にありました。
呪文「木落ち滝落ち川流れ木の葉の下の埋り仏・・・この家の眷属一同に障りなく守り給えアビラオンケン」と。

にゃんにゃん廟

626 :本当にあった怖い名無し:2019/05/05(日) 23:39:28.75 ID:AlWCQGUB0.net
石じじいの話です。

満州では、「にゃんにゃん廟」というお堂が各地に祀られていたそうです。
本尊は、三人姉妹の人形でした。
このうち、ひとつは福を授け、ひとつは眼病を治し、ひとつは子を授ける神様だと。
仏教とは違うものだったようです。
そこでお祭りが開催されることがあって、三日間も続いたそうです。
廟の周りに数千人の人が集まって賑わいました。
婦女子はきらびやかな色調の綺麗な服を着て参拝します。
またそんな女性目当てに男性も祭りに参加するのだと。
廟付近には薬屋、飲食店、野菜などの苗や種売り、人形売り、抜歯屋(!)など様々な店が並び、芝居小屋ができて、外では大道芸が行われたそうです。
芸人が人形のように着飾って、山車にのってねり歩く「生き人形」というものもありました。
曲芸もありました。
興味を引いたのは、非常に長い竹馬を足につけて踊る「高脚踊り」だったそうです。
長い木製の足(1メートルはゆうに超える)を靴に取り付けバランスをとりながら、楽隊の音楽にのせて踊り狂っていたと。
芸人は白塗りだったそうです。
その祭りを見た後、町の旅館に泊まったじじいは、夜、通りを歩く「高脚」の人物を目撃しました。
まあ、祭りの日ですから、近くの町にそんな芸人がいてもおかしくないのですが。
真っ暗な夜中に、一人で、そんなところを出歩いているだろうか?しかも高脚下駄を履いて。
と思って、じじいはちょっと怖かったそうです。

当時は、廃れてはいましたが、それでも「纏足をした」年配の婦人がいたそうです。
小さな足は美人の条件であり、指の骨を折りたたむようにしてその上に布をきつく巻いて作るのだとか。
日本にも「馬鹿の大足」というのがあります。
その小さな足に小さな靴を布で縫って履かせるのですが、その形が「蓮の花びら」の形をしていて、それがシナ人(ママ)にとっては、とてもエロいのだそうです。

呪いの面

631 :本当にあった怖い名無し:2019/05/09(木) 22:42:27.62 ID:JLruCiiW0.net
石じじいの話です。

呪いの面は、よく聞く怖い話です。
人の形を真似たものは、人間の情念が宿りやすいのかもしれません。
じじいもそのような面をいくつか見たことがあるそうです。
見ると不幸になる、という仮面がありました。
じじいも不幸覚悟で所有者に見せてもらったそうですが、それは白い面で、目2つだけがある子供の顔くらいの大きさでした。
卵型の面にやや歪んだ楕円形の穴がぽっかりと2つあいて並んでいる。
その左右の眼窩(?)の間は広かったそうです。
面の中央部がほんの少し盛り上がっていて、それが鼻のように見えないこともない。
他には口も眉もありませんでした。
全体的に気持ちの悪いものでしたが、じじいはそれを見たときに「これは、ほんとうにお面やろうか?なんかちがうもんやないか?」とも思ったそうです。
売るにしても値がつかないし、もしかしたら価値のあるものなのかもしれない、
ということで、所有者はそれを箱に入れてお札で封印して押入れに保管していました。
そうしておくと、別に害を及ぼすものではなかったようです。

ある日、その家の子供たちが、縁側で遊んでいました。
母親がおやつのお菓子を持って子供たちのところに行ったとき、彼女は絶叫しました。
子供たちが、その仮面を取り出して遊んでいたからです。
動顚した母親は、持ってきたお菓子とお茶をのせたお盆を取り落としましたが、子供たちから面を奪い取り、それを持って父親の元に走りました。
父親は、その様子を見て、母親の話を聞いて、大慌てに慌てました。
二人はそのお面を見て黙り込んでいました。
母親は「ぐっ!」と言って口を押さえました。
父親も「うぐぐっ!」と。

632 :本当にあった怖い名無し:2019/05/09(木) 22:43:02.52 ID:JLruCiiW0.net
二人はいっしょに吹き出して大笑いしていました。
その白い面は、子供たちによって色々なクレヨンでメーキャップされていたのです。
眉毛が描かれ、
まつ毛上下が描かれ、
鼻の穴が描かれ、
分厚い唇が描かれ、
口の中にはバカボンのような歯が描かれ、
ちょび髭が描かれ、
頬骨の突起が描かれ、
額のシワが描かれ、
ていたのです。
それは非常に滑稽な面相でした。

それ以後、その面は災いをもたらさないものになったそうです。

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プンシンサマ

633 :本当にあった怖い名無し:2019/05/09(木) 23:03:32.68 ID:JLruCiiW0.net
石じじいの話です。

じじいが朝鮮で聞いた話です。
当時の朝鮮でも、子供たちの間に占いのようなものが流行っていたそうです。
それは、プンシンサマ(プンシンサバとも)というもので、日本のこっくりさんに似ていました。
日本から入ってきたものだ、ということでした。
最初、大邱の街ではやりはじめて、そこから朝鮮全土に広がったそうです。

そのプンシンサマを、女学生たちが友達同士で放課後の河原でやったのだそうです。
自宅や学校では叱られるのでできません。
やっていても何も起こらないので飽きてきていると、ちょっと日の傾いた川面から黒い女性がざばざばと這い上がってきたそうです。
彼女たちは驚いて家に逃げ帰りました。
翌日から彼女たちは、他の川や用水路や学校の池などに、同じ黒い女が這いずり回っている!と騒ぎ始めたのです。
まあ、年頃の娘のヒステリーだろうということだったのですが。
巫に頼んではらってもらうと、それはおさまったそうです。
巫によると、その黒い女のようなものは「水鬼神」(ムルギシン)というものだ、ということでした。

「この話は、朝鮮の新聞にも載ったんで!」とじじいは力説していました。
「うそつけ!じじい!」と思いましたが、その話を聞いてからしばらくしてコックリさんが流行りました。
私の(=じじいの)村の周辺の学校では「こっくり禁止令」がでました。
しかし、スリルの誘惑には勝てません。
女の子、男の子たち、ひみつに集まっていっしょにやったんです。
それで、私の田舎でも、出たんです。
黒い女が。

草笛

655 :本当にあった怖い名無し:2019/05/13(月) 20:30:10.56 ID:lC5dYEP50.net
石じじいの話です。

皆さんは、草笛を吹けますか?
いろいろな植物の葉で作ることができます。
私の子供の頃のおもちゃでした。
この草笛で遊ぶ子供が死ぬ、という事件があったそうです。
季節や草笛に使う植物の種類に関係なく死にました。
死因は不明だったのですが、風邪のような症状がでたそうです。
数年にわたり何人かが死んだあとで、これは草笛が原因ではないか?と思いついた人がいたのです。
しかし、死んだ子供たちが遊んだあたりで除草剤や毒饅頭(昔は野良犬を駆除するために役場が使っていました)をまいた、ということはなかったのです。
別に、口にしたら有害という植物も生えていませんでした。
「草笛」禁止令が出たそうです。
いったい何が悪いのやら・・・
その後、いつのまにか、そのような事件はおきなくなったようですが、その後も「草笛で遊ぶな」と子供に注意する大人がいたそうです。
じじいもいろいろな植物で作る草笛の吹き方を知っていて、それを教えてくれました。
音感がけっこう良く歌がうまかったと記憶しています。
朝鮮語の歌をいろいろと歌って聞かせてくれました。
老境に入った私も、たまに、子供の頃を思い出して草笛を吹くことがあります。

草笛が呼ぶ
もういない人を呼ぶ

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硯石

665 :本当にあった怖い名無し:2019/05/16(木) 23:16:31.99 ID:2s9BOO8f0.net
石じじいの話です。

皆さんは書道を習ったことがありますか?
私は子供の頃、長年書道教室に通いました。
地元のお寺の住職が教えてくれたのです。
硯になる石は那智黒が有名ですが、
硯石の製作する職人さんが石を探して山を歩くことがあったそうです。

同じような石を求めて四国の山を歩く職人がいたそうです。
じじいが山を歩いているときに、一人の男性と出会いました。
その人が言うには、自分は「硯」に使える石を探しているのだ、と。
「ここらへんには、そがいな那智黒みたいな石はありゃせんのですが」とじじいは教えました。
その男性は、「そう思うやろ。それがそうやないんや」と、思わせぶりに言い山に入っていきました。
あとで、その男は、川で大きな真っ黒な那智黒の石(粘板岩)をザックで背負って、川で溺死(?)していたのです。
その石は那智黒だったそうです。
その後も、じじいはそこらへんの山で、そのような石を見なかったのです。
その男性の「妄執」が生み出した石だったのかもしれない、とじじいは言っていました。

那智黒石は、碁石の黒石になります。
白石の方は、はまぐりの貝殻から削り出します。
いずれも高級品ですね。
じじいの家に碁盤とともにありました。
じじいが囲碁を教えてくれたので、いまでも囲碁をやります。

じじいノート その9

696 :本当にあった怖い名無し:2019/05/23(木) 22:57:48.80 ID:EpTSHAnc0.net
石じじいの話です。

メモから短い話(断片)を。
(1)山の中で、まったく別の場所の風景が見えることがあったそうです。
それは、その見える場所の音(鳥のさえずりやせせらぎの音など)も聞こえたので、蜃気楼ではなかったろうと。
その風景はとても美しい深山幽谷のもので、見たあととても穏やかな気分になったそうです。
涼しげな山の匂いもしてきたとのこと。

(2)じじいは、石探しのために山で野営することもありました。
ある時、山で地面に寝っ転がると、背中に激痛が走ったそうです。
なにか棘のようなものが刺さったのか?と思って見てみると、そこに一つ丸っこい石がありました。
これが原因か!と思って、もう一回、その石の上に寝っ転がって見ました。
すると、最初ほどでないにせよ、背中に痛みが走ったそうです。
なぜ痛いんだ?と思っていると、その日に山を歩いていてずっと感じていた腰の痛みが嘘のように消えていました。
これは役に立つ不思議な石かもしれないと思い、じじいは持ち帰りました。
家に帰って、布団の上に置いて横になってみたら、ものすごい激痛が!
よっしゃ、これで腰痛が治る!と思ったら、前よりも腰痛がひどくなったそうです。
「しょーもない石や思うて、池にぶちすてちゃったい!」

施し

710 :本当にあった怖い名無し:2019/06/04(火) 14:14:10.66 ID:l06d/AwL0.net
石じじいの話です。

これは、じじいが石探しに九州に行った時の話のようです。
じじいがある寺を訪れた際、そこの住職が話してくれたそうです。。
その僧侶が托鉢修行をしていた頃、ある村を訪れました。
そこでは、ある家の女性のみが施しをしてくれたそうです。
次の訪れた時も、その女性だけが施しをしてくれました。
その次も。その次も。
お布施をくれる。
その女性だけがくれる。
もちろん、僧侶は毎年そこを訪れる、というわけではありませんでした。
その村を訪れたある日、女性の家の近くで野良仕事をしていた男性が、その僧侶に声をかけてきました。
「お坊さまは、どうして、この空き家の前に立たれるのか?ここは誰も住んどらんが」
僧侶はすこし驚いて、「この家の女性がありがたいことに、長い間、毎回施しをしてくれるのだ」と説明しました。
「この家の女の人は、もう10年以上も前に死んでしまっているんだが」と野良仕事の男性。
僧侶は当惑しました。
その表情を見て、その男性は合点がいったような顔をして、彼に以下のような話をしました。
- 最初、この村にあなたが来た時に、私たちは施しをしなかった。
- しかし、この家の女性だけが施しをした。
- その時、我々村人は、彼女に「施しを与えると癖になって頻繁に来るようになるぞ!」と。
- その後、あなたが何度か来たので、「それ、見たことか!こじきが来るようになってしまったぞ!」と。
- それに対して女性は答えたそうです。
- 「いや、あのお坊さんは、お金が欲しくてやってくるのではない、来なければならないと思って来るのだ」と。
僧侶は恥じたそうです。
そして感謝し、修行に励みました。
「今、わたしは、僧侶としてりっぱなものになったかどうか・・・」
と、僧侶はじじいに語ったそうです。

*このようなメモですが、これの意味は「その女性は訪れて来る僧侶に、死んでからも施しをしていた」ということなのでしょうか?
僧侶は、その女性がこの世のものではない、ということに何年も気がつかなかったのでしょうか?

石集めの人

741 :本当にあった怖い名無し:2019/06/14(金) 23:17:11.37 ID:P5HHip8Z0.net
石じじいの話です。

不完全なのですが、こんなメモがありました。

じじいと競るほどの石集めの人がいたそうです。
その人は、病気で死にかけていました。
彼が言うには、自分はどうしてもこの世に執着がある。
もし自分が死んだら、この石を、自分を焼くときに胸の上に置いておいてくれ。
そして、骨壷にも、その焼け残った石を入れてくれ。
そうしたら、執着が消えて往生できるだろうから。
そのために、この石を選んだと。
と。
彼が死んだ後、家族の人たちは、そんなことはできないと思い、石を置きませんでした。
葬式の翌晩、彼は出ました。
家人の枕元に立って、「なぜ、おれの願いを叶えてくれなかったのだ!」と恨みごとを言ったそうです。

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大徳

746 :本当にあった怖い名無し:2019/06/15(土) 14:51:44.51 ID:jkq4pwhQ0.net
石じじいの話です。

と書きましたが、これは他の人からの話かもしれません。
じじいからの聞き書きメモの中には、別の人(特に、村の真言宗の寺の住職)からの聞き書きも混じっていますので。

ある寺に大徳がいらっしゃいましたが、彼が朝、厠に立たれたまま帰ってこられません。
納所坊主が怪しんで彼を探しましたが、厠にも寺の内外にも姿が見えない。
厠には、脱いだ草履が残されていました。
見つからず長く年月が経ち、亡くなったものとして葬儀が行われて墓が建てられました。
それから随分年月が経ってから、その寺に一人の炭焼きがやってきて言うには、
自分は山奥で僧侶の姿を見た。その僧侶は石の上に座り絶命している。
とにかく僧形なので寺の人だろうと思い、この寺に知らせに来た・・・
その寺の人と村人が、その炭焼きに案内されてその山に登りました。
そこには、老僧が印を結んで石の上に座していたそうです。
着ていた着物はボロボロ。
手に持っていたであろう数珠は切れてバラバラ。
遺体には苔が生えていたそうです。
死後長く経っていたのに、不思議にその体は白骨化して分解することなく、なかばミイラなのようになっていたと。
そのため、顔貌から昔、行方知れずになった高僧であるとわかったのです。
彼は上を向いて口を開いていました。
その口には土がたまり、そこに一本、空に向かって草が伸び、花が咲いていたそうです。

石を探している子供

777 :本当にあった怖い名無し:2019/06/28(金) 17:01:41.26 ID:8Nr6jLQ+0.net
石じじいの話です。

じじいは石を求めていろいろと旅をしましたが、これは岐阜県を訪れた時の話のようです。
岐阜県は、化石や岩石で面白いものが多いのだそうです。
南北に長く、北部は非常に山深い。
南のほうでは、太古の哺乳類の骨や歯の化石がよく発見されるとか。
日本最古の岩石があるというのは、最近のニュースで聞いた記憶があります。
山の中でじじいは、石を探している子供と出会ったそうです。
その子は小学生高学年くらいでした。
ゲートルを巻いて、地下足袋を履いて、腰からはわらじを下げています。
簡易テントを背負って歩いていたそうです。
その時、じじいも同じ格好でした。
その子の着ている服は古いものだったのですが、綺麗に洗って補修してあり、少年自身の体も清潔だったと。
じじいが、何をしているのか?と尋ねると。
死んだ父親が求めて見つけられなかった石をさがしているのだ、ということでした。
それが父への供養だと。
母と住んでいて、母は自分の行動に納得している。
と言ったそうです。
その石は非常に珍しい石で、まず見つからないことをじじいは知っていました。
少年に、発見は無理だろうと説得しましたが、死ぬまでかかっても見つける、とかたい決意でした。
いろいろと尋ねると、少年は学校にも行かないで山を歩いているようだったと。
いくら戦後そうたっていないといっても、未修学は・・とじじいは心配になりました。
少年は各地の山のことを非常によく知っていて、じじいを「指導」してくれたそうです。
少年が岐阜の地元の人だったのか?のメモはありません。
その子は里に下るじじいと山中で別れて、さらに山奥を目指して歩いて行ったそうです。
里に降りて、その少年のことを村人に話ましたが、ここら近辺に該当する子供はいない、ということでした。
「あの子は、今はもう、ええ大人になっつろうが、めざす石は見つかったんかいのう」

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