師匠シリーズ

【師匠シリーズ】剣道の話

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参照元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=374999

大学一回生の秋だった。
旅行の打ち上げと称して四人の仲間で集まり、カラオケに行ったことがあった。俺の田舎での恐ろしい体験を共に乗り越えた仲間だ。
なのに最初から妙にギクシャクして盛り上がりに欠けた。
京介さんが持ち歌っぽい「天使の休息」を歌った後に師匠が「古いな」と呟いたあたりから雲行きが怪しかったのだが、その師匠がセクハラのつもりなのか「おっぱいがいっぱい」という歌を歌ったことに対し、女性陣がまったくのノーリアクションだったことがその変な空気に拍車をかけた。
師匠は黙々とセクハラソングばかりセレクトして歌い、「金太の大冒険」で一層ボックス内を寒々とさせた後に「どうして吉田松陰物語が入ってないんだ」とインデックスに一人で切れたりしていた。
その後カラオケ屋を出て近くのハンバーガーショップでテーブルを囲んだときも、なんかもうとっとと解散しようぜ的な雰囲気が漂っていた。しかしどういう会話の流れだったか判然としないが京介さんと師匠が二人とも剣道をやっているという話になって、俺は素直に感心していたのであるが、kokoさんがぼそりと一言呟いたときに(あ、まずい)と直感した。
「どっちが強いのかしら」
それはまずいでしょうよ。あきらかに。
案の定、二人ともピクリと反応し、顔を強張らせながら子どもじみた牽制が始まった。
「まあ、やってたっていっても高校卒業してからはあんまりやってないしね。でもまあ、女子と男子じゃ比べようがないっていうか、競技としても混合でやることなんてまずないし、あんまり意味無いんじゃないかな」
「そうかな。私は今でも道場に通ってるけど、稽古は男子とでも普通にやるよ」
「いや、そうじゃなくて、ほら、男子と女子と試合が別れてるって時点で、そもそも勝負が成り立ちにくいくらいのナニが……ほら、身体的な差が……あるわけじゃない?」
「個人と個人を比べるのに、それぞれが属している集団を持ち出すって時点で、核心に触れたくない理由でもあるのかと勘繰ってしまうがな」
「へえ。一般論に話を落とすのは、優しさでもあるってことがわからないやつもいるんだな」
「……それは、どういう意味なのかな」
「いや、そのままの意味でしょ」
ああ。
いやだ。なにこの大人げなさは。
いつものことと高をくくりながらも、ネタがネタだけに血を見ずには終わらないような気がしていたが、やはりそういう方向へ話が向いていった。
「じゃあ、一週間後、私の道場で。逃げるなよ。ほんとに一週間でいいのか」
「いいよ。ブランクっていうほどのものじゃないし。もちろんハンデっていうほどのものでもないよ」
「ホント、いちいち勘に触るな、このオトコは」
「キミほどじゃないよ」
「死ね」
「竹刀で死なせるものなら見せて欲しいね。そもそも竹刀は稽古での殺傷を防ぐ目的でかの剣聖上泉信綱が……」
「うるさい」
とにかく、そんな調子で決闘の日取りが決まった。俺は見届け人ということになったようだ。
ハンバーガーショップを出て解散する時、kokoさんに「どっちが勝つんですか」と囁いてみた。するとどうでも良さそうな口調で、
「分からないから訊いたのよ」
……そりゃそうですね。

一週間後、俺は「中町剣友館」という看板の前に師匠と並んで立っていた。思ったより大きな道場で、建物の古さといい、なかなか雰囲気があった。
京介さんが子どものころから通っているという道場だ。
隣の師匠をちらりと覗いたが、その横顔には微かな緊張の色がある。
格好は紺の胴着に袴。背中には防具が入っているらしい袋と、竹刀の形をした袋を担いでいる。
なにも家から胴着を着てくることはないと思うのだが、「敵の陣地で悠長に着替えてられるか」とのこと。
かなりの意気込みだ。
立場上、俺がどちらか一方の味方をするのも変なのだが、場所が師匠にとっては完全にアウェーなのでどうしても師匠よりの立ち位置になってしまう。
「そんな剣道の道具、持ってたんですね。知りませんでした」
「男が武道をひけらかすものじゃない」
言葉は妙にカッコいいが、ようするに押入れで埃を被っていたのだろう。
俺の勘ではたぶん師匠の負けだ。
玄関から入るなり、師匠が大きな声で「たのもう」と言った。
おお。世界に入り込んでいる。
しかし応答はなかった。出迎えも。
少し気まずい思いをしながら薄暗い建物の中を進み、物音のする方へ進むと広い板張りの空間へ出た。
「お、来たな」
道場の中にはわずかな人影しかなかった。全部で三人。全員が防具を身に付けている。
そのうちの一人が面を取りながらこちらに近づいてきた。
「ようこそ。私が当館の主、中町です」
男性だった。剥げ頭に、肉付きのいい顔。五十、いや六十代か。差し出されたその手を慎重に握る師匠。
その後ろから、同じく面を取りながら京介さんが歩み寄ってくる。
ふわりと顔のまわりに湯気が立った。汗が滴っている。
「逃げなかったな。見直したぞ」
軽く頭を振りながら言う。
ガランとした道場の中を見回した師匠に、中町さんは笑顔を浮かべた。
「ああ、今日の練習は晩からです」
そういえば今は平日の昼間だった。大学生をしていると時々常識的な曜日や時間の感覚が薄れてしまう。
京介さんが後ろを振り返りながら声を上げた。
「そういや、おまえは今日はどうしたんだ」
道場の奥で素振りをしていた人の動きがピタリと止まる。面がこちらを向いた。
「そうりつきねんび」
「え?」
「創立、記念日」
男の子の声。よく見ると小柄だ。防具に包まれた体はパッと見では年齢不詳だが、どうやら中学生くらいのようだ。学校が休みだということか。
「ギャラリーは少ないほうがいいでしょう」
中町さんはタオルで顔を拭きながら、「準備をなさいますね。どうぞご自由にお使いになってください」と道場の中を示した。
「素振りはしてきました」と師匠は京介さんの方を見ないようにしながら、足元の板張りを確かめるように踏みしめる。
「摺り足だけさせてください」
そう言って、荷物を置くと板張りの上をすべるように歩き始めた。
真剣な表情だ。
俺はその様子を見ながら道場の壁際に腰を下ろした。京介さんは汗を拭きに行ったのか、控え室らしい板戸の向こうに消えていった。
中庭らしい方に面した窓から、光の筋が伸びて道場の床を照らしている。天井が高い。
師匠の動きに合わせて、キュッ、キュッ、という小気味良い音が響く。
木の匂いがする。
剣道か。
やったことはないし、目の前で見るのも初めてだった。
中町さんがじっと師匠の足運びを目で追いかけている。なぜかその首の動きが怪訝そうに傾げられているように見えた。
俺は不安になった。
師匠が本当に剣道など出来るのか、という不安だ。その道の人の前で恥を掻くのは見たくなかった。
しかし師匠は平然とその視線を受け流している。
やがて足を止め、俺のすぐ隣に置いてあった道具袋の方へ近づいてきて竹刀を袋から取り出した。
そこへ中町さんから声が掛かる。
「打ち込みくらいはしておいた方がいいでしょう」
師匠は迷うような表情を見せたが、ゆっくりと頷いた。
「あ、基立ちやりますよ」
奥で素振りをしていた少年がこちらにやってくる。
師匠は道具袋を開け、防具を取り出した。そばに寄ると、お香の匂いがした。防臭のためだろうか。
垂れと、胴と、面と、小手。
師匠はそれらを順番に身に着けていく。
なんだか、目の前で師匠ではない別の何かに変わっていくようだった。
完全武装を遂げた師匠はふっと、息をつくと竹刀を手に取り、道場の中ほどへ進んでいった。
同じ格好の男の子もそちらへ向かう。
「打ち込みでいいですか。それとも掛かりですか」
「いや、互角で頼む」
面の奥からそんな言葉が出てくる。
一瞬ハッとしたような雰囲気がもう片方の面から漏れた気がした。けれどすぐに少年は竹刀を構え、「分かりました」と元気な声を張り上げた。

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互いに礼をしたあと、二つの竹刀が音を立てて交差した。
オオ、と声が漏れてしまう。どうやら試合形式の稽古のようだ。
二、三度打ち合ったかと思うと、ガツンと鈍い音を立てて二人の身体がぶつかる。
「ウォーッ」という凄まじい声が師匠から上がり、俺は思わずビクリとする。それに呼応して「キョェェーッ」という甲高い声がもう片方から上がる。
その迫力に俺は腰が引けてしまった。
おいおい。ほんとに剣道やってるよ。
そんな間抜けな感想が頭に沸いてくる。
もしかして師匠、強いんじゃないか。
そう思いながら見つめていると、いつの間にか控え室から出てきた京介さんが、壁際を遠回りしながら俺のそばへやってきた。
袴を翻してストンと姿勢良く腰を下ろす。背筋が綺麗に伸びている。
視線は道場の真ん中で竹刀を合わせている二人へ向けられている。俺は横目で京介さんの顔を伺う。
「どうですか」
「……なにが」
前を向いたままだ。
「勝てますか」
「この二人の勝敗か」
「いえ……」
京介さんが、師匠に、です。
そう言おうとすると、遮られた。
「見てればわかるよ」
ビシィッ、という激しい音がして師匠の竹刀がガクンと揺れる。少年の放った小手が師匠の左手に入ったらしい。
間髪居れずに二人はガツンとぶつかり、鍔迫り合いが始まる。そして離れ際に、一瞬の隙を衝いてまた師匠が小手を決められた。
速過ぎてよく分からないけど、たぶん。
あれ? 師匠、もしかして押されてる?
本番の前にもうメッキが剥れてしまうのか。
すると京介さんが横でぽつりと言った。
「思ったよりやるな」
その間にも竹刀を持った二人は目まぐるしく動き、お互い面を狙って相打ちした後、くるりと首を振った少年が身体を沈ませながら師匠の胴を打ち抜いた。
そばに立っている中町さんが頷いたのを見ると、綺麗な一本だったようだ。
だめじゃないか、師匠は。
そう思うと、なんだか酷い脱力感に襲われた。
しかし京介さんは依然興味深そうにその様子を見つめている。
「これ、あの子の方が優勢なんですよね」
念のために確認する。
「あたりまえだ。あの変態が勝てるわけがないだろう。ユータはこのあいだ中学の県大会の個人戦で優勝したばかりだ」
おいおい。先に言ってくださいよ。それメチャメチャ強いんじゃないですか。
その小柄な身体をあらためて見つめる。
驚くと同時に師匠がかわいそうになった。
京介さんと戦う前のほんのウォームアップのつもりで竹刀を合わせたのに、こんな子どもに良いようにやらてしまうなんて、きっとわけが分からず混乱しているに違いない。
「オォォォォッ」
という雄叫びとともに、師匠がなんとか面を打ち返した所でお互い動きを止めた。そして礼をして別れる。
少年は面を取りながら、「いやあ、強いですね」などと嫌味を感じさせない口調で師匠に話かける。師匠の方は息が上がっているのか、返事ができないようだった。
これから本番だというのに、実にまずい雰囲気だ。最後の面打ちも、素人目に、華を持たせてくれたようにも見えた。
案の定、京介さんは「ふ」と口元を緩めている。
「あの子、強すぎますよ」と俺は抗議をした。相手が県の中学チャンプだなんて知らない師匠は、今ごろショックを受けているに違いない。必要以上に自信喪失していなければいいが。
心配しているその横で、京介さんはスラリと立ち上がった。
その無駄のない動きは、錆一つない日本刀が鞘から抜き放たれたようだった。
「そうかな」
口唇からそんな言葉がこぼれ出る。
そうかなって、明らかに強すぎですよ。素人が見ていても分かるくらいに。
続けてそう抗議しようとしたときに、京介さんはスッと足を運び始めた。
「私の方が強いよ」
そう言い残して。

その後は無残なものだった。
息を整えた師匠が京介さんと正対し、竹刀の先を合わせた後は一方的な展開だった。五分三本勝負と申し合わされていたのだが、師匠はものの一分で二本を先取されてしまい、早々に負けが決まってしまった。
俺の隣に座った少年が解説してくれたところによると、一本目は「出小手」、二本目は「面返し胴」という技で決まったらしい。
師匠は往生際悪く「もう一勝負」「もう一勝負!」と食い下がり、承知した京介さんに完膚なきまでにボコボコにされていた。
さっきの少年との試合形式の稽古の時よりも打ち合うことが少なく、あっと言う間に決まってしまっている印象だった。
師匠は中段、京介さんも中段に構えていたが、途中から師匠の方だけ下段に構えを変えた。どうやら防御に重きを置いた構えらしいのだが、全くそれが奏功していないしないようで、相変わらず面に胴に小手にとバンバン打ち込まれていた。
「あのお姉さん、強いの?」
恐る恐る訊いてみると、少年は「そうですねぇ」と少し考えてから答えた。
「段位で言うと四段ですけど、公式戦ではそれほど実績がないですね。中学の時は凄かったらしいですけど。でもたぶん今の方が強いですよ。前回の全日本の予選でも二回戦で警察剣連の優勝候補の人に当たっちゃって負けちゃいましたけど、内容自体は惜しかったですしね」
四段?
四段というと、剣道三倍段の法則からすると十二段の空手家で互角という強さではないのか。
頭の中で金色の帯を締めた空手家と京介さんが向き合っているバカな絵面が浮かんでしまった。
「まあ、僕の方が強いですけど」
少年は可愛い顔をしてさらりとそんなことを言った。屈託のない笑顔だった。
しかし師匠を尺度に考えると、どう考えても京介さんの方がボコボコにしている。さっきはそんなに手を抜いていたというのだろうか。
「面あり!」
中町さんの掛け声が道場内に響く。
正面から面を打とうとした師匠に対し、京介さんは左へ身体を捌きながら相手の竹刀を払い上げるように流して、開いた面へ素早い一撃を見舞ったのだ。「面すりあげ面」という技らしい。
「あれ、得意技なんですよ。僕もよくやられます」
少年は何も持っていない両手を胸の前で握って竹刀を操る動作をする。しかしその首が訝しげに捻られた。
「でもなんか、あの人の動き、変なんですよね」
「変って?」
そう問うと、「ううん」と唸って師匠の動きを凝視する。
「僕とやってたときはもっとまともな動きだったと思うんですけど。なんていうか、今は要所要所で妙な動きが入るんですよね。それもだんだん酷くなってる」
ほら、あの間。
そんな風に指をさされたが、なにがなんだかさっぱり分からない。
試合は十本以上京介さんが連取して、六連勝だか七連勝だかしたあたりで中町さんが「勝負あり」と言った後、「もうよかろう」とお互いに諭すような口調で告げた。
師匠は力が抜けたように天を仰いだ後、ゆっくりと頷いた。京介さんもそれに倣い、互いに礼をした。
師匠はこちらへ引き上げてきながら、全身で息をしていた。相当に疲れているようだ。「くそう」と悔しそうに吐き捨てながら面を外す。顔中から汗が滴り落ちている。
防具を外し終わった師匠に、中町さんが歩み寄ってきてこう言った。
「剣道ではありませんな」
師匠はこわばったような、それでいて薄ら笑いのような表情を浮かべて「修行が足りませんでした」
とだけ返事をした。
中町さんは少し険しい顔をした後で、力を抜いたように溜め息を一つつくと「お疲れ様でした」とねぎらった。そしてお互いに頭を下げて、離れる。
妙なやりとりだった。

京介さんは道場の真ん中に立ったまま、面を外してこちらを見ている。
あれほど圧倒的に勝ち切ったというのに、その表情は哀れむでも蔑むでもなく、かと言って高揚感や達成感も微塵も感じられないような複雑なさまを見せていた。
ただ、その相貌は何試合も連続で戦ったばかりだというのに紅潮を見せず、それどころか異様なほど蒼白だった。そしてその両目は息を飲んだように師匠を見つめている。
まるでギリギリの命のやりとりをしたばかりとでも言うように。
師匠はその視線から目を逸らし、持参した袋から着替えを取り出し始める。
「あっ」
こもった熱気に気がついて少年が窓に駆け寄る。
そうして開け放った窓から心地よい風が吹いてきて、汗に濡れた二人の髪を揺らした。
板の間の、どこか懐かしいような木の香りがした。

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